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2023-08-25 12:02:00
気を遣うことと気を遣わないこと
どちらも極端過ぎると神経がすり減る状況が生じます。気を遣う人からみると気を遣わない(遣えない?)人の言動が許せず気をあまり遣わない人からみると気を遣い過ぎる人の心情がよく理解できないからです。
日本では「察して動く」ことをよしとする文化で育った方が多い印象を受けます。「言わなくても分かってくれる」といつの間にか勝手に思い込み察することができない人を責めたりします。「良かれと思って」色々負担がかかるのも相手に確認せずに対応してしまうから生じるのでしょう。
違う人間同士がどこまで相手の心情を汲み取ることができるのでしょうか。汲み取れないのが当たり前。汲み取れていると思っていても実はそれは自分の思い込みだったということが多々あるのかもしれないと年齢を重ねてたくさんの人とのやりとりの中で学びました。
色々考えすぎて疲れ果ててしまうより尋ねることができることは相手に尋ねてみる。尋ねることができない時は相手から希望が届くまで待つ。人間何でも主体的に動く中で勇気や自信や安心が深まるものです。相手の主体性を信じて待つことの大切さを日々実感します。
ちなみに自分にとって大丈夫な人は気を遣っても遣わなくてもどちらでも受け入れてくれるはずです。気を遣う、遣わないを選択しているのは自分自身ですから。どちらでも大丈夫ならあまり神経をすり減らすことなくやりとりできる人を選んで付き合えばよかとです(^^)